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オリタ君のプロフィール(文:永田泰大)

1

ホームページを開設し、世界に向けてなんらかの情報を発信するからには、まず自分がどういった人物であるかを紹介するのが筋ではないか、と僕はオリタ君の胸ぐらをつかみながら主張したわけである。すると彼は、それもそうだな、だがそれはそれとして君、その手を離したまえと叫び、僕の横っ面を2,3発はたいたわけなのだ。血で血を洗う惨劇の幕開けである。骨肉の争いである。牛舌の塩焼きである。

ともあれ、オリタ君のプロフィールを紹介するのがよかろう、ということになった。夕焼けに染まる荒川土手での話だ。「ときに君、生まれはどこだね?」と僕は唇の端に流れる鮮血をぬぐいながら言った。すると彼は、「そうだな・・・」と重々しく口を開き、遠くを走る埼京線を目で追いながら続けた。「1969年2月18日、僕は千葉県市川市に生まれた」。そう言って彼は、そばにあるススキの葉をむしり取り、見事な草笛を吹いた。たしかこの曲は、『ボヘミアン・ラプソディー』。クイーンだ。

彼はそのまま荘厳な曲を草笛で見事に再現し、「ガリレオガリレオ~」のリピートのあたりで馬鹿馬鹿しくなってやめた。僕もどうなることかと思っていたのでホッとした。

沈黙を破るように僕は訊いた。「それで?」。川はゆっくりと流れていた。するとオリタ君は突然、はじかれたように笑い出した。僕は呆気にとられて彼を見ていた。オリタ君はしばらく笑い転げ、どうにもたまらないようで足をジタバタさせた。しまいには、ゴロゴロと寝返りを打つように転げ回り、ついにその勢いで土手を転がり落ちてしまった。なんせ僕らは土手にいたもので。

ややあって、オリタ君は土手を上がってきながら「やあ失敬失敬」と照れたように笑った。そしてそのまま元いた位置に腰掛けると、思い出してもおかしい、というふうに、クックッと小さな声を上げながら言った。「そして僕はS小学校に行ったんだ」。そこまで言うとオリタ君はまた笑い出した。僕は驚きのあまり呆然としてしまった。だって、まるでおもしろくないもの。オリタ君は、ひ~ひ~言いながらつぎの言葉を告げた。「そのあと、さ、僕は、し、し、S中学校に行ったんだ」。衝撃だった。僕はにわかに落ち着かなくなった。だって全然おもしろくないじゃん。僕は引きつったような笑い顔をつくろいながら、「そいつはいいなあ」と相づちを打った。オリタ君はまだ笑い転げている。そして、どうにかこうにか笑いをこらえて、必死の形相で僕に言った。「そ、そして、そのあとどうしたと思う?」。僕はしばらく考えてから答えた。「さあ」。オリタ君はもんどり打ちながら叫ぶように言った。「E高校に行ったのさ!」。これはたまらない。さすがの僕も大笑いしてしまった。あんまりおかしいもので足をジタバタさせた。僕らはふたりしてゲラゲラ笑い、その勢いで土手を転げ落ちてしまった。なんせ僕らは土手にいたもので。

ふたりは川べりまで転げ落ちた。そしてしばらく笑ったあと、僕らの笑いはようやくおさまってきた。僕は、ぶり返す笑いをこらえながらオリタ君に言った。「そ、それで? それでどうなったのさ?」。刹那、オリタ君の表情がサッと曇った。完全に真顔だった。いくぶん青ざめてもいた。メガネが曲がっていた。加勢大周を意識していた。

「一浪したんだ」

返す言葉がなかった。僕らは押し黙ったまま、行く川の流れを見つめていた。体育座りだった。禅問答だった。隣町はお祭りだった。(続く)

 

2

電車がホームに滑り込み、乗客がどっと降りてほっとしていると、それ以上の数の人が乗ってきてとんでもない混み具合になってしまった。しかも、僕の前の男はなんだって僕と正面から顔を合わせるように立っているのだろう。この混み具合じゃカバンからゲームボーイだって出せやしない。

とりあえず僕は身をよじるようにして、不作法な男の肩越しに中吊り広告を眺めることにしたのだが、こんなときに限ってそれは『たまごくらぶ』とかなのだ。離乳食なのだ。情操教育なのだ。なぜかインターネットなのだ。そしてどこかで携帯電話が鳴り出すが、またしてもそれは『キューピー3分クッキング』のテーマ曲だ。確かに3声和音を駆使したその着メロの完成度は高いが、僕の周りには『キューピー3分クッキング』を着メロにしているやつが多すぎやしないか。

それでもなんとか『たまごくらぶ』の中吊りを読み切って、本当にもうどうしようもないから隣の上越地方のスキー場の広告を読み潰し始めた。そこでまた誰かの携帯が鳴る。しかし、今度の着メロは僕を苛つかせはしなかった。それどころか僕を安らげつつあった。ひいてはどこかへいざないつつあった。むしろ悠久の海へ旅立ちつつあった。確か、この曲は『ボヘミアン・ラプソディー』、クイーンだ。

驚いて僕は携帯の鳴るほうへ目をやった。正面の不作法な男が邪魔でよく見えない。しかたなく僕は不作法な男を正面からにらみつけた。鬼の形相でにらみつけた。般若もかくや、と思われる表情でにらみつけた。さすがに男は気味悪かったらしく、視線を外して僕から遠ざかるように体をよじった。それで僕はその携帯の持ち主を見ることができた。

やはりそれはオリタ君だった。短く刈り込んだ髪。シルバーフレームのメガネ。20センチほど伸びた立派なあごヒゲ。いや、あごヒゲは見間違いだった。そう、そこに立っていたのは間違いなくオリタ君だった。

奇遇に僕が驚いていると、電話で誰かと話しているオリタ君とふと目があった。オリタ君は、ちょっと驚いた表情を見せ、やあ、と僕に目で挨拶した。そして電話口の相手に向かって「それじゃ和風で」と言ってから電話を切った。それはとても気になる決めゼリフだったが、他人の電話の詮索は野暮というものだろう。

にしてもオリタ君と僕はすぐ近くにいたわけではなかったので、ふつうに会話するわけにもいかなかった。オリタ君と僕の間には、少なくとも3人の乗客がいた。まあいいか、と僕が思っていると、オリタ君はまず自分の目の前に立っているサラリーマンの顔をにらみつけ始めた。もちろん鬼の形相だった。つぎのOLに向かっては阿修羅の表情で挑んだ。最後の紳士は、ブルース・リーが敵にトドメを刺したときの切ない表情で退けた。そんなふうにしてオリタ君は僕の隣にやってきた。やるときはやる男である。

そしてオリタ君は僕に向かって言った。「さ、こないだの続きをやろうか」。なんだって? 「プロフィールだよ。一浪したところからだったよね」。驚いたことに、彼はこの満員電車の中でプロフィールの続きを語ろうというのだ。河原で途切れた自己の歴史を再び紐解こうというのだ。

突然の提案にうろたえて、「ちょ、ちょっと待ってくれよ・・・」と言いかけた僕だったが、オリタ君は僕を阿修羅の形相でにらみつけた。有無を言わさぬつもりだ。仕方ない。意を決した僕は、彼に応えるべくアントニオ猪木の表情でにらみ返した。オリタ君はニヤリと笑い、「それでいい」と満足げに言った。

なんとか自分の吊革を確保しながら、僕は「それで浪人時代はどうだった?」と聞いた。オリタ君は、少し懐古するように遠い目をして『たまごくらぶ』の広告を眺め、ややあって「それはギターだったね」とつぶやいた。

「ギター? ギターって弦楽器のギターかい?」

僕は突然の展開に戸惑いながら尋ねた。

「もちろん弦楽器のギターさ」

「エレキかい?」

「エレキさ」

十代の最後にエレキギターに出会ったオリタ少年。悪くない。ドラマティックな展開だ。

「一浪してどうなった? 大学生になったのかい?」

オリタ君は僕に向かって深々と頭を下げた。

「おかげさまで大学生になりました」

「おめでとう!」

「ありがとう!」

心なしか満員電車の乗客も祝福しているような気がした。次の駅を告げる駅員のアナウンスさえゴスペルとして響いた。『たまごくらぶ』も悪くないじゃないか、と僕は思った。僕は口笛でも吹きかねない勢いで「ちゃんと卒業したのかい?」と聞いた。オリタ君は指をパチンと鳴らして「もちろんさ!」と答えた。

「きっちり4年で卒業したよ!」

僕は目の前が真っ暗になった。ショックだった。膝がガクガクした。お皿が割れそうだった。見かねたオリタ君が「どうしたの?」と心配そうに尋ねる。僕は絞り出すようにして、小さく答えた。

「僕は・・・1年留年したんだ」

心なしか満員電車の乗客が蔑んでいるような気がした。駅員のアナウンスがデスメタル調に響いた。『たまごくらぶ』なんて犬にでも食われろ、と思った。

そんな僕を励ますように、オリタ君は自分の大学生活のエピソードを聞かせてくれた。

「大学時代は音楽をやっててさ、コレクターズのスタッフなんかもやったんだ。ほら、バスドラにバンドのロゴを描いたりしてたんだぜ。そのころからデザインに興味があったからね」

僕は、くだらないことで落ち込んでオリタ君に気を遣わせてしまったことを反省した。そうさ、『たまごくらぶ』だってちょっとしたもんだ。ひよこの子はひよこだ。「ありがとう、オリタ君」と僕が照れながらお礼を言うと、「なんでもないさ」と彼は爽やかに笑った。

そのときだった。ホームに差し掛かった電車がガタンと強く揺れた。満員の乗客が波を打つ。僕は大きくバランスを崩し、体重の支えをなくして宙をつかんだ。倒れそうになりながら僕は吊革に向かって夢中で手を伸ばした。吊革に指がかかる。助かった、と思った瞬間、なんとオリタ君がその吊革を奪い取ってしまった。「ああ!」と声にならない叫びを上げて僕は何かつかむものがないか探した。そこに、『たまごくらぶ』の広告があった。まさに藁をもつかむ気持ちで、僕はその中吊り広告をつかむ。一瞬、中吊り広告は僕の体重を支え、僕を固定した。しかし、所詮それは紙である。いわゆるペーパーである。つるつるのペラペラである。僕のつかんだ紙は、僕を支えきれずにビリビリと破れた。そして僕は満員電車を埋める乗客の足下にどうっと倒れ込んだ。倒れ込んだ僕の顔に『たまごくらぶ』の広告がバサリと落ちてきた。

「また会おう」

倒れた僕にそう告げると、オリタ君は開いたドアからホームに向かって出ていった。僕はといえば、『たまごくらぶ』の広告にくるまれてジタバタしていた。滑稽だった。ゴキブリホイホイだった。隣町はお祭りだった。